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公開終了作品

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HELLO HEMINGWAY/ハロー ヘミングウェイ

2001年劇場公開作品

私は生きる。私は生きる。
パパヘミングウェイに恋した少女ラリータ17才!

  • 第12回新ラテンアメリカ(ハバナ)映画祭
    グランプリ受賞
  • 第13回東京国際映画祭
    国際女性映画週間

    公式上映作品

HELLO HEMINGWAY/ハロー ヘミングウェイ

作品紹介

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製作年 1990年
製作国 キューバ
上映時間 90分
監督 フェルナンド・ペレス
出演 ラウラ・デ・ラ・ウス、ラウル・パス

イントロダクション

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キューバ革命前夜、社会情勢を背景にひとりの少女の心模様を描いた青春物語。

アメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイは、のべ21年間をキューバで過ごした。当時のキューバはアメリカの半植民地的存在であり、キューバ人の誰もが、傀傴政権であるバチスター派の崩壊を望んでいた。だがその一方で、若者たちは北米文化に憧れ、エルヴィス・プレスリーやジェームス・ディーンに夢中だった。
そんな時代のハバナを背景に、一人の少女の魂の成長を、「老人と海」にこめられたエスプリに託して、さわやかに繊細に描き、第12回新ラテンアメリカ映画祭のコラール賞(グランプリ)作品であり、キューバ人が愛してやまない映画である。
監督のフェルナンド・ペレスは1944年生まれ。ハバナ大学で文学を学んだのち、ICAIの傘下に入った。トマス・グティエレス・アレアなど先輩たちの助監督を経た1987年、長編劇映画「Clanadestinos」でデビュー、本作は第2作目にあたる。
脚本のマイダ・ロイェロはペレス監督の妻である。彼女は映画のヒロインと同様、ヘミングウェイに魅せられていた。ヘミングウェイがキューバに滞在していた頃の、子供時代の懐かしい思い出、そして革命前夜の緊張したキューバへの愛とロマンが、ここにはあふれている。

物語

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1956年、貧しい女学生のラリータが住むハバナの家の隣りには、ヘミングウェイの大きな邸宅がある。ラリータは早朝に家を抜け出し、ヘミングウェイ家のプールで、こっそり泳いだりもする。窓の内側の老人は、見て見ぬふりをしている。
ラリータは「老人と海」の物語が持つ力強さにひかれていた。サンチャゴの漁師の毅然とした態度に、自分を反映させることもある。よりよい未来を求めて、ラリータはアメリカ留学の奨学金を申請することにした。しかし、家族も、愛国者の恋人も彼女の計画には反対だった。そのうえ、留学にはアメリカ国籍をもつ有力な保証人が必要だという。あの有名な隣人に頼んでみよう、ラリータはそう決心した。ヘミングウェイはラリータを助けることができるのだろうか・・・。

監督

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フェルナンド・ペレス

「アンナ -まなざしの向こうに-」監督「フェルナンド・ペレス」写真1944年キューバ生まれ。
ハバナ大学で文学を学んだ後、ICAICに参加。
名匠トマス・グティエレス・アレア等の助監督を経て、1987年長編映画「Clanadestions」でデビュー。本作は監督第2作目にあたる。その後は1998年「人生は口笛を吹いて」、2003年「永遠のハバナ」を製作。

映画「ハローヘミングウェイ」に寄せて

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見終わってしばらくの間、私は席を立つことが出来なかった。 1961年(昭和36年3月、私は芸大の声楽科を卒業して、当時はあまり知られていなかったジュリアード音楽院のマスターコースに留学し、メトロポリタンオペラに出演するのが夢であった。東京のアメリカ大使館に何度も何度も足を運んだ。それは書類との戦いだった。私のつたない希望を満たすため、粘りながらも保証人の事、留学の当座の資金(ドル)等のことで問題は山積みであった。
その頃日本は、一年前の安保騒動の後で世間一般は何か挫折感が漂っていた。それでも八月の終わり、私はニューヨークに向かう事になった。映画では、少女ラリータがヘミングウェイの生まれたアメリカのスタンフォード大学で文学を学ぼうとする。迫るカストロ及びゲバラ率いる革命軍。貧しい家の様子と、上べだけを見る、留学を受け入れる側の事務所の冷たさを映画は映し出す。そんな時ハバナの街中の古本屋の主人が”老人と海”の一節を優しく読んで聞かせるシーンは感動的で私が一番好きなシーンである。それは小説”老人と海”が人生の師であることを教えている。革命のためラリータの留学の夢は消える。しかし映画は人生の一度や二度の失敗に臆することなくヘミングウェイの”老人と海”が描いた人生の洞察、そして人生の希望を映し出す。
四十年前、お互いに懸命に生きた青春を思い起こさせた素晴らしい映画であった。それは私にとって人生の遠い思い出である・・・。

オペラ歌手・日大芸術学部教授 丹波勝海

ヘミングウェイとキューバ

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キューバの地図作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899年~1961年)にとって1950年代「老人と海」を書いたキューバでの生活は満ち足りたものであった。午前中に執筆し、それを終えるとクルーザーに乗り込み海にでて釣りをし、夕暮れには友達とハバナのオールドタウンにある好みのバーでダイキリとモヒートを飲む。彼は、キューバで代表作「誰が為に鐘は鳴る」(1940年)、「海流のなかの島々」(1945年)、「老人と海」(1952年)を書く、いずれも映画化され成功している。
1959年1月カストロ率いる革命軍による革命成功後、彼はアメリカに戻るが、1961年7月アイダホ州ケチャムで自らの命を絶つ。へミングウェイが愛してやまなかったカリブの島キューバを去って、僅か2年後のことであった。

他:公開終了作品

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